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松右衛門帆に関する文献

ホントの松右衛門帆とは

和船の研究論文は多く見受けられるが、帆に関する網羅的な文献は少ないと言えます。限られた資料の中で正しい理解に近づくには、宝暦11年に書かれた『和漢船用集』、文化年間に著述された『造船心得集』等がありますが、帆に関する織り方などについての明確な考証、記述はありません。松右衛門が帆の改良を志すまでは、帆に関する関心は薄かったからでしょう。和船研究の第一人者である石井謙治氏の論文においても、松右衛門帆と当時のその他の帆とのサイズ、物性、経済性の比較とか、何故松右衛門帆が発明されたのかという動機等に関する学術的な研究が中心になっています。

「松右衛門帆というのは、太糸で縦横2本ずつで織ったものである」という、文化9年から10年にかけて書かれた『今西氏家舶縄墨私記 坤』の文章を根拠に、松右衛門帆を忠実に再現、もしくは独自に復元した、と宣伝している帆布業者があります。しかし上記の文章は、船の専門技術者が記した技術書ではありません。江戸に入港する船の出入りを監視する浦賀奉行所の同心(番所の役人)が、仕事の合間に観察した、単に他の刺し帆などと見分けるための目安として記した文章で、和船の研究で著名な研究者の間では、判別の重要な根拠として取り上げられていません。

「浦賀同心として日常嘱目していたものであり、なかなかよく観察していると思うけれども、やはり船大工でないせいであろう、多少の誤りも見受けられる」とか「著者の狭い見聞に留まっている」と言った和船研究の第一人者石井謙治氏の解題文があります。さらに、「今日工樂家や裏日本の旧船主の家に伝えられている遺品は、両端の部分が縦糸一筋、横糸二筋の織りになっていて、『造船心得集』や『今西氏家舶縄墨私記 坤』のいうところと異なっている」と。

石井謙治氏による補註として、松右衛門帆を「太い木綿糸をもって縦糸二筋・横糸二筋(ただし両耳の幅二寸ほどは縦糸一筋にする)で二尺五寸という大幅の厚い布地に織り上げたもの」と定義されています。実際、当家に保存されている「工樂松右衛門創始の松右衛門帆試織」には、柔らかくよった太い木綿糸で単に縦(たて)糸2本、横(よこ)糸2本ずつでゆるく織られているのみでなく、両耳に独特の工夫があるのが明瞭です。この見解は、神戸大学名誉教授の松木哲先生の『松右衛門帆』と題した論文においても、同趣旨の説明がなされています。この石井謙治氏、松木哲氏という和船研究の権威とも言われるお二人とも当家を訪れ、6代目当主より詳しく松右衛門の話を聞き、松右衛門帆試織の帆2巻をつぶさに観察され、自らの長年の研究成果と照らして上記のような定義をされています。

和船の専門家の調査によれば、現存する松右衛門帆を調べると、使用する織機によってその横幅2尺2寸強から2尺4,5寸くらい(66cmから75cm)まで、寸法にばらつきがあります。長さは、帆柱の高さによって決まりますが、長いもので約16mあります。こうした実際に江戸時代から明治にかけて和船で使用されていた帆布を、松右衛門帆、または松右衛門帆布というのです。

実際に使用されていた松右衛門帆

松右衛門帆 写真

千葉県立関宿城博物館蔵「松右衛門帆」

にもかかわらずこうした一番重要な松右衛門帆の特徴を無視、もしくは知らずして松右衛門帆を「完全に再現」「忠実に復元」した、というのは誤りです。現在神戸商船大学等に残されている「松右衛門帆」は、実際に帆布として使用されていた松右衛門帆の一部のみを切り取った見本であり、風雨にさらされて茶色っぽく変色し、堅くなって糸も縮んでいるため布の厚さも一定でありません。

「松右衛門帆」の切れ端として現存する多くは、偽物、もしくは末不良品として流布していたモノが多くあり、それを研究用として保存されているのです。したがって本当の松右衛門帆の風合い、手触りを確かめることはできません。実物を観察研究しないで博物館展示品のごく一部を参考にして松右衛門帆を「独自に再現」した、ということですが、それはあくまでも“似せた帆布”であって、織り方は真似していても松右衛門帆の風合いとは全く違います。それを知らずして復元し、バッグに応用しているという一部業者の説明は、真実に大いに反しています。使用前の本当の松右衛門帆の実物風合いを確かめるには、工樂家に保存されている「工樂松右衛門創始試織」の二巻と、あと個人蔵として保管されている元北前船船主宅にある数巻(これは実際に使用するために織られたと思われる幅75センチ、長さ約13, 16メートルあるモノ)でしか、確認できないでしょう。

直径1ミリメートルほどもあるが太さも一定しない木綿の糸で、且つ縒りも弱いため、今日の目ではさほど丈夫そうにも見えませんが、当時普及していた刺し帆よりは耐久性が高く、扱いやすかったため大いに普及したのだろう、と言うのが石井謙治氏の意見です。こうした真の和船研究者の意見を無視して、またオリジナルの松右衛門帆が存在するにもかかわらず、それを知らずに“幻の帆布を再現”というのは、大きな誤りです。

松右衛門帆全サイズ縦 写真松右衛門帆全サイズ

工樂松右衛門創製の帆布

幅:735㎜ 生地厚さ:3~3.5㎜

完全再現した松右衛門帆は、博物館に展示する意味はあっても和船から原動機船、蒸気船へと動力が変わってきてしまって和船がない今日、残念ながら、使い道はありません。事実和船から原動機船に変わってきた明治の終わり以降、松右衛門帆は急速に影を潜め、役目を終えました。