工樂松右衛門一世から三世にかけて修築してきた高砂港の波戸
「松右衛門帆」というロゴマークでバッグ、鞄の製造、販売を行っている特定団体、そしてバッグメーカーが工樂松右衛門という名前を利用して営業を行っていますが、工樂松右衛門、そして工樂家とは全く関係ありません。
工樂松右衛門が兵庫津で名を成していた廻船問屋株仲間であった「御影屋」から頼まれて家督を継いだその由緒ある名前の所以も知らず当事者と何らの相談、同意を得ることなく自らの商業目的のためにフリーライドして運営している帆布のバッグや鞄の製造販売は、工樂松右衛門やその松右衛門を先祖としている工樂家とは無関係の事業です。
この特定団体(設立平成23年)は、工樂松右衛門が創製した松右衛門帆でない帆布を使用した製品に対して「松右衛門帆」という商標登録を取り、且つわずか数年前の平成28年4月に御影屋という屋号で設立した会社であるにも拘わらず松右衛門が創製した天明5年(1785年)以来234年間ずっと、バッグを製造販売していたかのような表示を商標に加えて事業を行っていることに、重大な疑問を抱いています。
工樂松右衛門は、生誕地の兵庫県高砂市では松右衛門が開発した松右衛門帆のみが強調されていますが、活躍の舞台は兵庫津にあり、兵庫津で廻船問屋を営みながら幕府に命ぜられて築港の仕事に取り組むなど、多彩な業績を残して社会に貢献した人物です。
松右衛門は江戸時代終わり頃に開けた大阪から蝦夷地への西回り航路によって敦賀、庄内、新潟、酒田、秋田といった湊を経由して初期の北前船船主として活躍していました。
幅広い分野での業績、功績に関する記事、研究成果、書物が注目、発表されるようになってきています。
ところが活字となった真面目な史実を正確に辿って発表された勉強熱心な方々の成果ばかりでなく、他方で工楽松右衛門の名前を使用して単に商業目的で誤った「松右衛門帆」の知識によって利用されることが目立つようになってきていることに対し、工樂松右衛門の業績と人となりを正しく理解していただくために開設した公式サイトです。