西暦 年号 | |
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1743年 寛保3年 | 宮本松右衛門、播州髙砂に生まれる |
1758年 宝暦8年 | 高砂から、兵庫の津に出て、回船問屋御影屋に船乗りとして奉公する |
1784年 天明4年 | 松右衛門二世生まれる |
1785年 天明5年 | 松右衛門帆を発明する |
1789年 寛政2年 | 松右衛門幕府の命により択捉の築港を命じられ、蝦夷地に渡る |
1794年 寛政7年 | その後屡々命を奉じて択捉に往復し、遂に波止場を完成させる |
1802年 享和2年 | 幕府より松右衛門の功績を賞し、工樂の性を賜り、名字帯刀をゆるされる |
1804年 文化元年 | 北海道函館に私費を投じてドック(船択場)を建設、後に高田屋嘉兵衛に譲る |
1808年 文化5年 | 故郷高砂の港の、船の往来を容易にするため、私費で浚渫工事にあたる |
1810年 文化7年 | 高砂港の築港完成 |
1811年 文化8年 | 福山藩の依頼により、鞆の港の波止場改修、築港を手がけ、完成させる |
1812年 文化9年 | 工樂松右衛門(70歳)歿す |
1819年 文政2年 | 酒井忠實工樂松右衛門二世に命じて宮本新田の開発を命ず 松右衛門二世、高砂木場港を築造 |
1820年 文化3年 | 関連の出来事:勤王家菅野白華高砂に生まれる |
1850年 嘉永3年 | 二世松右衛門没す |
1863年 文久3年 | 三世松右衛門高砂港大改修 |
1881年 明治14年 | 三世松右衛門没す |